2012年

これはマヤの暦が終わる年で、つまりは「終末の時」である、というような話がもうかなり一般的に広まっておりまして、んでもってその時が「アセンション(次元上昇)」の時だと言われていて、その手の書籍は山のように出版されております。
ハリウッドきっての「竜頭蛇尾」映画(はじまってからの1時間は面白いのに、後半の1時間は?の連続となる)を作り続けるエメリッヒ監督も『2012』なる映画を制作中とのことです。

が。

この「マヤの暦は2012年12月21日で終わる」というのは、事実ではなく解釈のひとつであり、本当のマヤン・カレンダーでは「そんなことはぜんぜんない」んですね。
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伝統的なマヤ・カレンダーでは、「2012年」はサイクルの終わりに位置してはおらず、ただ通過する年に過ぎません。
あえて挙げるなら、今の520年サイクルの終わりに位置する年は「2086年」です。しかし、マヤ・カレンダーはこの年で完了してしまうのではなく、再び次の年から新しい520年のサイクルが始まります。
(参照 『マヤ・カレンダー』URL http://www6.plala.or.jp/nagaku/main-calendar.htm)
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つーわけで、今回の金融パニックやら地球環境の変動やらを「いよいよ2012年が迫ってきているからだ」と「終末待望論」とも聞こえるような言動をする方もおられますが、「まだ世界がおしまいになる訳じゃない」と信じる方はご安心ください。

いろいろと「暦」とか「未来情報」に通じている方にお会いする度に「で。2012年はどうなんですか?」と質問しているのですが、すべての方が「もちろん、いろいろとやっかいな問題があるのは、いまの現状を見てればわかることだけど、2012年とマヤのカレンダーを結びつけるような特別なことはないと思いますよ」と仰ります。

もちろん、アセンション(人間の寄り高次元の存在への進化)は必要になってくると思います。物質的な進化ではなく、精神面での進化ですね。キューブリックの「2001年宇宙の旅」の最後に出てきたスター・チャイルドが象徴している、人類の新たな進化は「精神に宿る」ということです。
いま現在までの「物質至上主義」では経済も環境も立ちゆかないでしょうし、「戦いの歴史」を繰り返すだけが未来なのだとしたらそれも空しい。
なので個人個人、「自分の精神面をみつめ直そう」という思いのもとで鏡などをジッと見つめてみる、と言うことが「アセンション」なのだろうな、と思うのです。

アセンション、という言葉そのものはキリスト教由来のものですから、キリスト教徒以外の方がこの言葉に振り回される必要も本来はないわけですけれど、でも、そういう言葉があちこちで目に耳に届く、ということは、それはそれなりの「意味」があるのだとも思います。

と、とりとめのないことを書いておりますが
エメリッヒ監督の新作となる『2012』、その原作小説は出版と同時に読みましたけれど、まさに「読むエメリッヒ」という感じの、見事なまでの「竜頭蛇尾小説」でした。なんでこっちに話が進んじゃうの? って感じ。小説の帯には「マイケル・ベイで映画化!」と書いてあったように記憶しているのだけど、まあ、マイケル・ベイでもエメリッヒでも同じと言えば同じですね。ハッタリ映像ショーを楽しみましょうって感じだから。