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元来、スポーツで勝者がガッツポーズをする瞬間は、感動的なシーンのはず。
さらにその選手が怪我の後で、誰もが負けるだろうと予想していたとなればなおのこと。
映画だったら、ここぞとばかりにテーマ曲が高鳴る感動シーンだよね。

ところが、そこに苦言が呈されるのが「相撲」という世界。
それは「相撲」が本来スポーツではなく、神事 だから。
あれは神に奉納するための儀式だから。

そして、日本のスポーツは「道」という言葉を使って、それが「スポーツ」ではなく「修行」という面を強調します。柔道、剣道、さらには外国からの輸入であっても、空手道、合気道などと言うし、もちろん相撲道などと言ったりします。野球道、なんていう人までいる。
だから、勝利のガッツポーズなどもってのほかで、それは、礼に始まり、礼に終わらなければならない。

とはいえ、外国人選手に、日本のそう言う精神性を求める、というのも無理がある。それは文化的な歴史が違うのだから。

なんだから、本来は「注連縄」である「綱」も、このさい「チャンピオンベルト」と呼べばいい。「横綱}は「神」であり、だから注連縄を締め、その位置から落ちることはなく、時期が来れば引退するのみで、神には角があるからだから「角界」と呼ぶ、なんて習わしも捨て去ればいい。

などと、相撲に全然関心もないのに、そんなことを思ったりするのでした。