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ノウイング

息子くんが公開初日に見に行き、「早く見て解説してよ」と言っていたので、見てきました。
もうおひと方、同じように仰る方がいて、どちらも「なぜいまこの物語を作るのか」ということについて意見が聞きたい、ということでした。

で。

そういうことについて書きます。
まず思ったのは、まるっきりこのblogの「天と地と人」の通りの映画じゃないか、ということですが、それはそれとして

以下ネタバレ。



















































OK?

















































この映画もまた「JC」の映画なのだけれど、わざわざ父と子でJCとなるような名前にしてるんですね。

父は ジョン
子は ケイレブ

ふたりあわせて JとC つまりは ジーザス・クライスト。

加えて 父は ジョン ですから ヨハネ
子は ケイレブ ですから 聖カレブ
だったりします。

ヨハネ といえば 「黙示録」ですね。
これは聖書に記されている唯一の「終末予言」です。例の「666」なんかが出てくるのが、この黙示録。
なので、この映画のヨハネ(ジョン)も「終末予言」のメッセンジャーとなります。

聖カレブ というのはカナンの地を探るためにモーセによって遣わされた人々のうちの1人です。
カナンというのは神がユダヤの民に与えるとした《約束の地》ですね。
なので、この映画のカレブ(ケイレブ)もまた、約束の地へと誘われます。

ジョンの奥さんの名前は、たぶん字幕で翻訳されてなかったので、ヒアリングが出来ないワタクシには解説できませんが、彼女はフェニックスという街に出張に行ってホテル火災に巻き込まれ、炎の中で死んだそうですので、もう「復活」は約束されています。
もうひとりの「母親」もこの映画は殺します。
その「もうひとりの母親」というのが
JとCが出会う ダイアナという女性(その娘の名前はアビー)
ダイアナといえば女神のディアナ。これは月の女神。
アビーというのはヘブライ語で「父親にとっての歓び」という意味ですから、ひらたく言えば「神さまのお気に入り」という感じの名前です。
なので
太陽が地球を滅ぼす、という物語の中で、月の女神は消し去られ、神様のお気に入りは、ちゃんと救いを与えられます。

約束の地へと誘われるケイレブとアビーが抱っこしているのは「春の訪れ」を象徴するウサギですね。ウサギは「再生」と「豊穣」を告げるシンボルです。

その大地にあるのが「生命樹」なのは、つまりダイアナは月の女神であると同時に木の女神でもあるから。
お母さんたちは生命樹として再生し、子どもたちをはぐくむ母なる自然として再生するわけです。

このとき子どもたちが抱っこしているウサギを野ウサギではなく白ウサギにしているので、当然、アリスの「白ウサギ」も重ねています。
「時間がない!」と告げていたあの白ウサギ。

これは「2012年」問題を念頭に置いて製作された映画なので、時間がない! というのは「この物語が現実になるまで、あと三年!」という意味ですね。

そして、この終末は聖書で予言されていたとおりに起こるのだ、と強調するように、劇中で《エゼキエル書》が出てきます。
これは聖書の中にはっきりとUFOと宇宙人を描写したものとして、一部の好事家には有名な聖書の一部です。

  ×     ×     ×

私(エゼキエル)が見ると、はげしき風が北より吹き、大きな雲と、燃える火の玉が北より出てきた。
また雲のまわりに輝火あり。
その中より真っ赤に熱した金属のごときものが出てきた。

その火の中に4個の生物にてなる1個の形が見え、人間の形のようであった。
すべて霊の行かんとする所には、生物その霊にうながされて行く。
輪またその傍らにあがる。これ、生物の霊、輪の中にあればなり。
生物の行くときは輪もまた行き、これの止まる時はかれもとどまり、これ地を離れて上がる時は、輪もともに上がる。
生物の霊、輪の中にあればなり。
生物の首の上に山水晶の輝きのごとき大空のごときものありて、その頭の上にひろがる。
固き大空の下にその翼開いて、相連なる。おのおの二枚の翼あり。おのおの二枚の翼にて身をおおう。


  ×     ×     ×

これがエゼキエル書にある記述で、これはどう読んでもUFOと宇宙人でしょう!

というわけで、これをまんま最新CGを駆使して映像化した物がこの映画のクライマックスになります。
本当に、まんまかよ、と呆れるくらいに、まんまです。

というわけで、これは聖書の黙示録をエゼキエル書の記述と併せて映像化した作品。

エゼキエルさんは「ユダヤの王国は滅亡する」という神の言葉を受け取った人で、同じメッセージを心の中にささやきかけられた人達が「選ばれて」、約束の地、千年王国へと運ばれて行くのです。

映画の中の宇宙人さんたちは背中に翼まではやして「選ばれた民」を天へと誘い、昇天して行きます。

そう、まるっきりの「選民思想」をどうだ、といわんばかりに映像化しています。

さて

ではなんでまた、いまこういう映画が作られたのでしょう?

それはこの映画をご覧になったらわかります。
たぶん、とても暗い、それってアリかよ、という憤りを感じるはずです。
一部の選ばれた人だけが助かって、後は全滅って、それ、あんまりなんじゃない? と。

これはそういう風に感じて欲しくて作られています。
だから掟破りでヒロインを殺し、主人公を殺し、神がそれを求めているなら仕方がないという神父を殺し、その他大勢、地球人類すべて抹殺します。
地球の裏側にいた人達は助かったかも、などという甘い期待を抱かせないショットも挿入されます。
この大全滅の様子がもう容赦ないので、見ている人の胸にはかなり大きな負のエネルギーが流れ込んできます。

こんな明日はいやだ。
こんな未来はいやだ。

そう思って欲しいんです。この映画はそのために作られたんです。
そして

こういう未来が聖書には書かれている
ということを、みんなが「知っている」ことを思い出させるのです。

さらに

聖書に書かれているとおりの未来が訪れると信じている人達がいる、ということをぼくたちは「知っている」ことを思い出させるのです。

映画はこう問いかけているのです。



聖書に書かれていることは真実で、だから聖書に地球は滅びろと書いてあるのなら滅びるのは仕方がないし、一部の「心正しき自分たち」は千年の楽園で幸せに暮らすのよ

信じているあなた、あなたが考えていることは具体的にはこういうことですよ。
これが聖書に書かれていることなんですよ。
本当にそれでいいんですか?
本当にこんなことが起こることをあなたは信じ、望んでいるんですか?


この映画を通して「こんな未来は嫌だ」と強く思うこと。
それが集合無意識の統一見解となること。

映画はそれを望んでいます。

暗闇は目をそらせば大きくなる。みつめれば、消える。

そうだとしたら、「絶望の未来」をしっかりと目に焼き付けて、これを拒否してください。
映画が望んでいるのはそういうことです。

多くに人がこの映画で描かれた聖書的未来とは違う未来を選択すれば、きっと違う未来が訪れるから。

知る、ということは、変わる、ということだから。

だからこそ「KNOWING」というタイトルなんです。
ちゃんと「知る」こと。
聖書を信じるとはどういうことかを「知る」こと。
そのうえで
別の未来も選択できることを「知る」こと。

わかる ということは かわる ということ。

この映画は聖書文化圏の人達に、その原理主義者たちに 変わってくれ と訴えているのです。

というわけで、わざわざ父と子で JC にしなければならなかったのは、もう一つ、どうしても引用したい名前があったからなんですね。

それは ケストナー。この親子は ジョン・ケストナーとケイレブ・ケストナーなんです。

ケストナーと言えば『ふたりのロッテ』ですが、ここで思い出して欲しいのは『飛ぶ教室』。
その『飛ぶ教室』における、次のような有名な言葉。
これが、この映画が伝えたいことなんです、きっと。


「勇気のある人たちがかしこく、かしこい人たちが勇気をもったときにはじめてーーいままではしばしばまちがって考えられてきましたがーー人類の進歩というものが認められるようになるでしょう」




これで、息子くんへの解説になったかしら?