BIUTIFUL

ビウティフル

どうして主人公には霊能力があるという設定だったのか、と息子くんに質問されたので、どうしてかしら、と考えてみたのですが。



以下、ネタバレ

































OK?


























その問いへの答えは、この映画のタイトル『BIUTIFUL』の中にあると思うのです。
これは娘から「ビューティフルのスペルは?」と聞かれた主人公が
「発音の通りだよ、B・I・U・T・I・F・U・L」
と応えたんですね。それがタイトルになってる。
つまりこのビューティフル、という単語のスペルは発音の通りではない(BEAUTIFUL)ということを作品全体のモチーフとしていますよ、ということですね。
聞いた音と書くときの文字にはズレがある。
それは必ずしも一致していない。
つまりは「聞いた音と実際の姿は違う」ということです。

なので、この映画の登場人物たちはことごとく「見えている姿」と「その実態」が違うんです。

主人公は死者の残した思いを聞くことが出来るし、その魂の姿を見ることも出来ます。
彼はそういう能力を持ってる。
けれど、死後の世界で彼は「この先に何があるんだろう?」とつぶやくんですね。

そう、彼は「死者と触れ合うことは出来るけれど、死後の世界のことは知らない」んです。

主人公の別れた奥さんは自分の子供をぶったり置いてけぼりにしたりする女性ですが、同時に自分の子供のことをとても強く愛しています。
このひとも見た目と内実が一致していません。

主人公の兄は弟と共に裏社会で生きています。
彼は弟に対してウソばかり口にするけれど、弟のことを本気で心配している男です。

主人公と不法移民を働かせることで金銭をやりとりし合う中国人は白人は信用できないと言いながら、主人公の口利きに頼り切っています。
そのゲイ恋人で相棒の男は誰よりも強気で攻撃的ですが、同時にひどく怯えていてパニックになります。

そう、みんな一見した印象とその内実が違うんですね。
だれもが「聞いたとおりのスペル」じゃない。

そういう人物たちを配して、この物語は「見えているものだけで世界は成り立っているわけじゃない」ということを描くんです。

そのためにこそ「見えないはずの物が見え、聞こえないはずの物が聞こえる力」を持った主人公が必要だったのでしょう。

主人公は余命二ヶ月という人生の終幕に、見えない物を見ようとします。
それは自分が死んだ後の子どもたちの未来。
その未来を守るために、彼は金をかき集めて、それを子どもたちに残そうとします。
霊能力があっても、彼は「現世は金次第」と思っています。

その「子どもたちの未来」を託した金を、自分が窮状から救った黒人女性に預けます。
いきなり大金を預けられた彼女がどういう行動に出るか。
ここもまた「見えていた彼女」と「本当の彼女」が違うのです。

最後に聞こえた彼女の「声」が本当の声なのか、
それとも主人公の希望が聞かせたまぼろしの声なのか、
映画はハッキリとは明示しません。

どちらにしても、最後に子どもたちには一粒のダイアモンドが残されることになるのは同じだから。
そのダイアモンドも主人公の父親が「本物だと言っていた」というだけの物なので、じつは偽物かもしれない。

見た目と実際は違う、のだから。

いま見えているものだけで世界は作られてはいない。
だから死を目の前にした彼の行動が正しいのか間違っているのか、それは誰にもわからない。

見えないものたちがその隙間に潜んでいる。聞こえない声が人々を導いている。
耳で聞いた音と実際のスペルが違うように、
世界は自分の感覚を超えたところに「正解」を用意しているのかもしれない。

そんなことを伝えたくて
この映画はアルフォンソ・キュアロンギレルモ・デル・トロの二大幻想映画作家が製作を担当しているのでしょう。

リアルは常にファンタジーを内包している。
そのことに気づいてしまったら、もう世界はただありのままには観られなくなってくる。
見上げた天上に死者の魂が張り付き、自分が目を逸らしたときに鏡の中の自分が自分をみつめ、そこにはいない人の影が、窓の向こうを横切りはじめる。
そういうことも含めてこの現実は出来上がっている。
『パンズ・ラビリンス』の製作、監督コンビはきっと、そういうことを言いたかったんだろうと思うのです。

この救いのない現実の隙間に、ファンタジーは潜んでいる。
発音された音とスペルが一致しないように。本当の世界と僕らが見たり聴いたりしているでかいとの間には、ズレがあるのだと。

そういうことを描くために、
主人公を「見えないはずの物が見え、聞こえないはずの物が聞こえる」人間を設定したのじゃないか。
と、息子くんにはそんなふうに応えてみました。